人物

【麻生太郎】元総理大臣の衆議院議員の生い立ち・学歴・経歴は?

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麻生派会長、副総裁、元総理の超大物議員「麻生太郎」徹底解剖

政権交代前の最後の総理大臣であり、総裁辞任後も財務大臣や副総裁等を歴任し、現在も政界に大きな影響を持つ麻生太郎衆院議員。

そんな麻生太郎を知ることにより、平成の政界の流れがわかるのではないでしょうか。今回は麻生太郎元総理の生い立ちから、現在まで徹底解説します。

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プロフィール

  • 1940年9月20日生まれ
  • 現職:衆議院議員(福岡8区)、自由民主党副総裁、志公会会長
  • 職歴:実業家、クレー射撃選手、衆議院議員
  • 学歴:学習院初等科、中高等科、学習院大学
  • 閣僚として:第92代内閣総理大臣、副総理、財務大臣、外務大臣、総務大臣等を歴任
  • 党内での役職:第23代総裁、幹事長、政務調査会長等を歴任

政治家になるまで

1940年9月20日、福岡県飯塚市に生まれます。小学3年生の時に上京し、学習院初等科に編入し、昭和38年学習院大学政経学部を卒業しました。

麻生セメント株式会社取締役社長、日本青年会議所会頭を歴任しました。1976年のモントリオールオリンピックには、スキート射撃の日本代表選手として出場し、41位の結果を残しています。

初当選から総理総裁就任まで

1979年10月、衆議院議員選挙に自由民主党公認で旧福岡2区から出馬し、初当選します(定数5名、4位。)。当選同期には、亀井静香、保利耕輔、船田元、丹羽雄哉、岸田文武、吹田愰、小里貞利などがいます。

1982年には、自民党内で若手の登竜門といわれる青年局局長に就任しました。

初当選後2期連続当選しましたが、自民党が過半数割れした第37回衆議院議員総選挙では次点落選します。(2678票差)

その後の第38回衆議院議員総選挙では、トップ当選し国政に復帰、以降現在まで選挙区で12回連続当選しています。このとき、宏池会に所属しました。1996年には、経済企画庁長官(第2次橋本内閣)に就任し、初入閣を果たします。1999年1月、宏池会を離脱し、大勇会(河野グループ)の旗揚げに参加します。

2001年、党総裁選挙に初出馬します。小泉純一郎・橋本龍太郎・亀井静香と麻生の4名が立候補していましたが、亀井が小泉と政策協定を結び、本選を辞退しました。結果、小泉が総裁に選出され、麻生は3位で落選しました。小泉政権では自民党党政務調査会長を務め、その後は総務大臣や外務大臣などを務めました。

2006年9月、再び党総裁選挙に立候補します。小泉は、総裁選の1年以上前から任期満了をもって総理総裁を退任することを表明しており、ポスト小泉人事がメディア等で取りざたされていました。有力候補には、安倍晋三(当時内閣官房長官)、福田康夫、谷垣禎一、麻生太郎の4名の前があがり、「麻垣康三」という4名の苗字名前から1字ずつ取った言葉が森喜朗によって名づけられました。安倍と福田はともに当時の最大派閥であった森派出身であり、森派分裂も予想されましたが、7月21日に福田が不出馬を表明し、雪崩的に森派は安倍支持となりました。結果、安倍464票、麻生136票、谷垣102票となり、またもや敗れることになります。安倍内閣でも、引き続き外務大臣を務めます。12月には、河野グループが解散し、新たに為公会(麻生派)を結成します。

2007年同年8月、安倍内閣で幹事長に就任しましたが、ほどなく安倍が退陣を表明してしまいます。9月に行われた党総裁選挙に立候補し、福田康夫と一騎打ちとなります。有力な後継者候補でありながら幹事長として総裁選を取り仕切ることへの反発や安倍麻生体制で冷遇されていた派閥による支持もあり、麻生包囲網と呼ばれる政治運動まで発展しました。その結果、麻生派対8派閥という構図になりましたが、下馬評を覆し、福田330票に対し、麻生が197票を獲得するという予想以上の善戦を見せました。
派閥主導の福田擁立への反発や、小泉純一郎を彷彿させる持論を展開しての演説への好感が効果に出たとされています。

総理就任、そして下野へ

208年、福田康夫総理の辞任に伴う党総裁選に4度目の出馬をします。与謝野馨、小池百合子(現:東京都知事)、石原伸晃、石破茂との5名で総裁を争うことになり、麻生が2位の与謝野馨の5倍を超える得票数を得て圧勝し、自民党総裁・内閣総理大臣となります。なお、内閣総理大臣指名選挙では、ねじれ国会(2007年の参院選で自民党が惨敗し、衆議院では自民党、参議院では民主党がそれぞれ第1党となっている状況)の影響により、参議院は民主党代表の小沢一郎を指名しましたが、衆議院の優越により衆議院で指名された麻生太郎が内閣総理大臣となりました。

党内で圧倒的な人気を得ている麻生は、解散ができなかった前総裁の福田に代わり、選挙の顔として解散総選挙を行うことを前提に首相になったとも言われていました。しかし、リーマンショックに端を発する世界金融危機が起こり、金融危機に対応するために解散を先送りしました。その結果、解散の先送りが問題視され、内閣支持率の低下を招きました。

2009年の衆院選では、ねじれ国会により迅速に政策が打てなかったことや前任の安倍・福田の2代連続の政権投げ出しへの批判、リーマンショック等での景気悪化等の影響を受け、民主党が308議席を獲得して大勝、自民党は野党へと転落することになりました。

再び政権与党に

2012年12月16日の衆議院議員総選挙では、民主党が大敗し、再び自民党が政権に戻りました。第2次安倍内閣では、副総理兼財務大臣兼内閣府特命担当大臣(金融)として再入閣を果たします。(財務大臣としての在任期間は、戦後最長。)

2017年7月には、志公会(麻生派)を発足させ、会長に就任します。

2021年10月8日から、自由民主党副総裁となります。

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