【鈴木直道】北海道知事の経歴・生い立ち・実績・発言は?夕張市長や都庁職員としても活躍!
北海道知事「鈴木直道」とは?
東京都庁職員から異例の夕張市への出向を経て、夕張市長、北海道知事を歴任している鈴木直道北海道知事。
今回は、そんな鈴木直道知事の経歴や実績などをご紹介します。
プロフィール
- 生年月日:1981年3月14日
- 現職:北海道知事
- 学歴:法政大学法学部法律学科卒業
- 職歴:東京都職員→夕張市長→北海道知事
政治家になるまでの生い立ち
1981年埼玉県春日部市で生まれ、埼玉県三郷市で育ちます。高校では生徒会長をつとめました。
高校在学中に両親が離婚し母子家庭となると、アルバイトを掛け持ちし学費を支えました。
東京都庁へ入庁
1999年4月、経済的な理由から大学進学をあきらめ東京都庁へ入庁しました。
2000年4月には、都庁に勤めながら法政大学法学部法律学科(夜間)へ入学します。大学ではボクシング部の主将を務め、自身は都大会のフェザー級で準優勝するなど実力者でした。2004年に大学を卒業しています。
2007年3月には、財政再建団体となった北海道夕張市を支援するために、都庁職員2名を派遣することが決まります。
その際、自ら手を挙げて、面接を経て石原都知事(当時)から直接辞令を手渡され夕張市へ派遣されました。
夕張市への出向
2008年1月、都保健福祉局総務部総務課主任から北海道夕張市市民課市民保健グループに配属となります。
担当の国民健康保険業務以外にも特産品のPR活動を東京で行ったり、財政再建への課題や取り組みなどを都の若手職員らに報告するセミナーを行うなど積極的に夕張市を発信しました。当初は次年度末で交代する予定でしたが、新しい財政健全法の施行を受けて、それまでの財政再建計画に代わり財政再生計画を自らの手で策定するため1年間延長を申し出ます。
財政再生計画の策定に市民の声を反映させるため、自身の母校である法政大学や北海学園大学の学生ボランティアに協力してもらい、2人1組で夕張市内を周り夕張市の全世帯の26%から回答を得ました。
2009年11月渡辺総務副大臣に報告書を手渡し、夕張市の現状に合った支援を求めます。
2年2か月に及ぶ派遣を終えて東京に戻る日には、市役所の職員全員と地域の人が大勢集まり黄色いハンカチを振って見送られました。
2010年4月、東京に戻り、東京都知事本局総務部総務課主任として、内閣府地域主権戦略室へ出向します。
また同年には、夕張市行政参与に就任しました。
夕張市長としての経歴
2010年11月、夕張市の若手市民グループから、2011年4月に行われる夕張市長選挙への出馬の要請を受けます。
財政再建団体である夕張市長の月給は、全国の地方自治体首長の中で最も安い約26万円であり、東京都職員時代より年収が約200万円下がってしまいます。
しかし、夕張市長選挙出馬の決意を固め、東京都庁を退職します。
2011年1月15日、記者会見を開き、出馬を正式に表明しました。
立候補時はたった7人の応援団で泡沫候補と呼ばれていましたが、石原都知事(当時)などの応援もあり、当時全国最年少の30歳で夕張市長選に当選します。
その後市長として、財政再建と地域再生の両立する新たな財政再生計画を策定し、財政再生団体からの脱却に道筋をつけるコンパクトシティー化・企業版ふるさと納税全国一など数多くの実績を残します。
また、市長と話そう会などで市民との話し合いを重視しながら再生を進めました。
都知事との信頼関係を活かし、東京都都営地下鉄の車内と駅への夕張PRポスターの無償掲示や、都営バスの無償譲渡など様々な支援を受けます。
財政再建団体になった2006年の負債の総額は353億円であったが、2018年には債務を約140億円減らしました。
一方で、公共料金の引き上げで衰退も加速し、破綻時に1万3000人だった夕張市の人口は市長を退任した2019年には7900人、2023年には6500人まで減少しました。
北海道知事としての経歴
2019年1月29日、北海道知事選挙に無所属で立候補する意向を表明します。
2月1日に自民党と公明党に推薦を要請し、公明党は即日、自民党は道議から一部反発があったもののその後推薦することを決定します。2月28日に夕張市長を退任するときには市役所にたくさんの住民が集まり、黄色いハンカチで退任を祝いました。
2019年4月7日、新人2人の与野党対決となった北海道知事選挙は自民・公明推薦の鈴木直道候補が、立憲・国民・共産などが推薦した元国会議員の石川知裕候補に50万票以上の差をつけ、当時全国最年少の38歳1ヶ月で北海道知事に就任しました。
鈴木直道の実績は?
新型コロナ対応
2020年1月28日に北海道で初の新型コロナウイルス感染者が確認されます。
その後、感染者が増加傾向になり、土日の外出自粛を呼び掛けますが、2月28日には国内最多となる64人の感染が確認されました。そこで、全国初の「新型コロナ緊急事態宣言」を出し、2月28日から3月19日までの約3週間、道民の外出自粛を求めました。
その結果、3月17日には感染者がゼロになり、予定どおり3月19日に緊急事態宣言は解除します。政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議では、「北海道モデル」が成功したと高く評価されました。
北海道新聞が4月初旬に行った世論調査では88%と道民からとても高く評価されました。
これにより、4月7日に政府が緊急事態宣言を7都府県に出したが比較的感染が抑えられていた北海道は対象に含まれませんでした。
次世代半導体工場誘致
鈴木知事は、先端ロジック半導体の開発・量産を目指すラピダス社を訪問し、道内への工場建設を要請します。
その後、社長が北海道庁を訪問し新工場を千歳市に建設する方針を発表しました。北海道には豊富な水資源や再生可能エネルギーの供給能力などに加え、「北海道大学などを中心に先端技術、世界中の技術者を集められる環境もある」ことが工場建設の決め手となりました。この事業には5兆円の投資が見込まれており、鈴木知事によると北海道として「過去最大投資規模の企業誘致」と述べました。
話題となった発言
鈴木氏が夕張市長時代に話題となった発言を紹介します。
JR石勝線夕張支線「攻めの廃線」
2016年、JRは維持困難な路線について自治体に協議を呼びかけました。具体的な路線名は出さなかったものの、鈴木市長(当時)側から廃線を持ちかけます。
JR側から廃線による別の交通手段確保のための費用補助を引き出すのが狙いで、鈴木市長はこれを「攻めの廃線」と言いました。
ですが、2023年に代替手段として確保した夕張市内と札幌市内を結ぶ2路線が運転手不足が要因となり廃止され、「攻めの廃線」は必要だったのか疑問視する意見もでてきています。
まとめ
鈴木氏は、ひた向むきに北海道を前へを掲げて北海道をよりよくするための政策を実現しています。一方で、夕張市の過疎化や財政状況により様々な課題が市長退任後から数年経った今、表面化してきました。
2027年の任期満了までに、道民と一体となって政策を進める手腕がためされています。
著書・書籍
- 『やらなきゃゼロ! 財政破綻した夕張を元気にする全国最年少市長の挑戦』
- 『夕張再生市長 課題先進地で見た「人口減少ニッポン」を生き抜くヒント』
- 『逆境リーダーの挑戦 最年少市長から最年少知事へ』
参考になるサイト
- 鈴木直道公式サイト|プロフィール|https://www.naomichi-suzuki.com/profile/
- 夕張市|財政再建のあゆみ|https://www.city.yubari.lg.jp/life/5/23/93/