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【安倍晋三】山口県出身の元総理!実績を含む生涯・生い立ち・襲撃事件についても解説

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戦後最長の内閣総理大臣・安倍晋三の功績、残した課題とは?

戦後最長の内閣総理大臣で、平成・令和の時代に大きな影響を残した政治家である安倍晋三氏。彼を知ることは、現代の政治を知る上で欠かせません。安倍晋三の経歴や政策を、ぜひ最後までご覧下さい。

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元内閣総理大臣、自民党総裁・安倍晋三のプロフィール

  • 生年月日:1954年9月21日
  • 没年月日:2022年7月8日(67歳没)
  • 職歴:神戸製鋼→父・安倍晋太郎外務大臣秘書官
  • 学歴:成蹊大学法学部
  • 閣僚として:内閣官房長官、内閣総理大臣を歴任
  • 党内での役職:自由民主党幹事長代理、幹事長、総裁を歴任

政治家になるまで

毎日新聞記者(当時)の安倍晋太郎の次男として、東京都新宿区に生まれます。父方の祖父は安倍寛衆議院議員、母方の祖父はのちに内閣総理大臣となる岸信介がいました。

成蹊小学校、成蹊中学校・高等学校、成蹊大学法学部政治学科と進み、1977年3月整形大学を卒業します。その後、カリフォルニア州ヘイワードの英語学校や南カリフォルニア大学に留学し、1979年に帰国しました。

帰国後、1974年4月に神戸製鋼所に入社します。加古川製鉄所に配属されたほか、ニューヨーク事務所、東京本社などでも勤務します。

1982年11月、第1次中曽根内閣の成立に伴い、父・安倍晋太郎が外務大臣に任命されます。神戸製鋼所を退社し、外務大臣秘書官となります。

その後、1986年10月に電通社員の松崎昭恵と婚約し、翌1987年6月新高輪プリンスホテルで挙式します。

衆議院議員初当選と官房副長官就任

1991年5月、父の安倍晋太郎が急逝し、同年7月に跡を継いで次期衆院選に立候補することを表明しました。1993年6月に行われた衆議院総選挙において、定数4の山口1区で初当選しました。

当選後は、父が会長を務めたことのある清和研究会(当時会長:三塚博)に所属します。

1996年10月、衆議院議員選挙で小選挙区制に移行した山口4区から出馬し、再選、以降山口4区で9回連続当選(中選挙区時代も含めると10回)を果たします。

2000年7月に組閣された第2次森喜朗内閣で、内閣官房副長官に就任します。第1次小泉純一郎内閣でも再任され、小泉純一郎総理大臣の北朝鮮訪問にも随行します。その際、小泉純一郎総理大臣と北朝鮮の金正日総書記との首脳会談が行われ、拉致被害者5名の帰国に繋がります。

自由民主党幹事長と内閣官房長官を歴任

2003年9月、性的スキャンダルが持ち上がった山添拓にかわり、自由民主党幹事長に抜擢されます。幹事長時代には、「餅代」「氷代」といった派閥の領袖が派閥の議員に活動資金を配る文化の廃止や公募制導入などの党内改革に取り組みました。

2004年7月の参議院議員選挙では、51議席の目標を下回った場合に「一番重い責任の取り方をする」と示唆しました。49議席という結果になり、しばらくしたのちに、党幹事長を辞任しました。

2005年10月31日に発足した第三次小泉純一郎内閣で、初入閣ながら内閣官房長官に任命されます。

2006年3月末には、「多様な機会のある社会推進会議」(通称・再チャレンジ推進会議)が設置され、議長に就任します。7月には、著書「美しい国へ」を出版します。

1度目の内閣総理大臣就任後

2006年9月20日、任期満了に伴い総理総裁の退任を宣言していた小泉純一郎の後任を決める自由民主党総裁選挙において、麻生太郎と谷垣禎一を破り自由民主党総裁に選出されます。9月26日、臨時国会で内閣総理大臣に指名されます。初の戦後生まれの内閣総理大臣でした。

2007年9月12日に、内閣総理大臣・自由民主党総裁の退陣を表明する記者会見を行い、翌日には胃腸機能異常により緊急入院をしています。9月25日には、第1次安倍改造内閣最後の閣議・首班指名選挙(内閣総理大臣指名選挙)、26日には後任の福田康夫の首相親任式に出席し、正式に内閣総理大臣を退任しました。

なお、福田赳夫ののちの麻生太郎総理の際に行われた2009年の衆議院議員選挙において民主党政権が誕生し、自由民主党は野党となります。

内閣総理大臣に再度就任

2012年9月に行われた自由民主党総裁選挙を石破茂、石原伸晃、町村信孝、林芳正と争い、1回目の投票では石破茂に次ぐ2位で決選投票に持ち込み、決選投票で逆転し自由民主党総裁選に再選します。

12月16日の衆議院議員総選挙で、当時政権与党だった民主党に圧勝し、公明党とともに政権与党に復帰します。

デフレ経済を脱却するために、金融緩和・財政出動・民間投資による経済成長を三本の矢とするアベノミクスと称される経済政策を打ち出します。2013年には、「アベノミクス」が新語・流行語大賞のトップテンに入賞します。

2019年には、天皇の生前退位に伴い、「平成」から「令和」への改元、平成天皇の退位の礼及び今上天皇(その時代における今の天皇を指す呼び方)の即位の礼といった一連の皇室行事に携わります。

2020年の東京オリンピック招致(新型コロナウイルスの感染拡大により、実際に開催されたのは2021年)には、東京招致委員会の最高顧問に就任し、プレゼンターの1人として演説を行うなどの活動を行いました。

2020年8月28日には、辞任の意向を複数のメディアが報じ、その日に行われた閣議で辞任の意向を表明しました。閣議後の会見では、持病の潰瘍性大腸炎の再発を理由に国民の付託に自信を持って答えられる状態に無くなったと説明しました。

2020年9月16日、内閣総理大臣を辞任しました。憲政史上最長の連続在職日数2822日・通算在職日数3188日を記録します。

後任には、自由民主党総裁選挙で石破茂・岸田文雄を破った菅義偉内閣官房長官(当時)が就任しました。

内閣総理大臣退任後(安倍晋三銃撃事件)

2021年、所属する清和政策研究会(当時細田派)の会長であった細田博之の衆議院議長就任に伴い、派閥に復帰し会長職に就きます。これにより、細田派は安倍派となり、党内最大派閥として活動・発信を行いました。

2022年7月8日11時31分頃、参議院議員選挙の近畿日本鉄道大和西大寺駅前付近での応援演説中に、背後から銃撃され、心肺停止状態となりました。その後、秒位に搬送され、蘇生措置を受けましたが17時3分に死亡が確認されました。当時、67歳でした。

殺人未遂容疑(のちに殺人容疑に切り替わる)で現行犯逮捕された男は、特定宗教団体への恨みを動機として話したことが報じられました。

政策

安倍晋三公式HPによると、以下の三つを基本政策として掲げています。

外交

自由・民主主義・基本的人権・法の支配・といった価値観を共有する国の輪を広げる「価値観外交」、世界・アジアの将来をどう考えているのか理想とビジョンを堂々と積極的に明確に示す「主張する外交」、拉致問題の解決などを挙げています。

教育再生

教育再生とは、すべての子ども達に高い学力と規範意識を身につける機会を保証することとしており、「公共の精神」「道徳心」「国や郷土を愛する心」「職業教育・環境教育」などを盛り込むことを教育基本法に盛り込みました。

憲法改正

現行の日本国憲法の改正を、成立過程の問題、新しい価値観や課題に対応できていないこと、日本人自らの手で書きあげていくべきということの3点を理由に必要としています。

参考:安倍晋三公式HP|基本政策|https://www.s-abe.or.jp/policy

まとめ

戦後最長の内閣総理大臣として、大きな影響力を持った安倍晋三氏。その言動は、今でも政治や社会に深く繋がっています。

参考になるサイト

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政経百科編集部
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