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【高市早苗】生い立ち、アナウンサーなど経歴、政策、結婚歴・総裁選の結果は?

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自由民主党「高市早苗」とは?

今回は前回の自由民主党総裁選挙にも出馬し、日本の経済安全保障関連の発言でも注目を集める高市早苗衆議院議員の生い立ちや経歴、政策についてお伝えしていきます。

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プロフィール

  • 生年月日:1961年3月7日
  • 現職:経済安全保障担当大臣、内閣府特命担当大臣(クールジャパン戦略、知的財産戦略、科学技術政策、宇宙政策、経済安全保障)
  • 職歴:テレビ朝日キャスター→衆議院議員
  • 学歴:奈良県立畝傍高校→神戸大学経営学部経営学科卒業
  • 閣僚経験:総務大臣、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、食品安全、イノベーション、少子化・男女共同参画、マイナンバー制度)
  • 過去の党内での役職:政調会長、広報本部長、情報調査局長、遊説局長

生い立ち〜議員になるまで〜

高市氏は1961年に自動車会社勤務の父と、奈良県警察勤務の母の下に生まれました。そんな高市氏は議員になるまでどのような人生を送ってきたのでしょうか。

学生時代

幼少のころの高市氏は内向的でした。小学校3年生で転校したことをきっかけに、少し活発に振舞えるようになりました。両親が共働きだったため、6歳下の弟の面倒をみるのに追われる毎日でした。

高校卒業後、神戸大学経営学部経営学科へ進学し経営数学を学びます。大学時代は軽音楽部に所属し、ヘビメタ・バンドでドラムスを担当しました。学生時代は、阪神タイガースの応援、バイク(愛車はZ400GP)で走り回ることに熱中していました。

代議士になるまで

大学卒業後の1984年4月松下政経塾に入塾し、パナソニック創業者の松下幸之助から1990年以降に起こり得る大きな変化(安全保障の枠組み、産業構造、日本経済等)についての予測を学びました。

1987年10月、アメリカへ渡りCongressional Fellow(金融・ビジネス)として勤務します。

その後日本に帰国し松下政経塾を卒塾。日本経済短期大学の助手になりました。

1989年テレビ朝日キャスターとして深夜番組のキャスターを蓮舫元参議院議員と共に担当します。その後、1990年10月にはフジテレビの平日朝の情報番組のメインキャスターを務めます。

1992年、参議院選挙奈良県選挙区の公認申請を自由民主党奈良県連に提出。自民党は同じく公認申請を提出した現職の三男を公認しますが、高市氏は無所属で立候補します。

その結果、現職の三男に大差で敗れ落選しました。

1993年当時中選挙区制の第40回衆議院選挙に奈良県全県区(定数5)から無所属で出馬します。現職5名と保守系新人に加え、日本新党の新人候補も出馬を予定しており、無所属新人が当選できる可能性は皆無と言われていましたが、結果は1位で当選しました。

初当選後の経歴

当選後の高市氏は自由党に所属し、与党入りします。自由党は新進党に合流し、高市氏は党税調常任幹事や党青年局政策副委員長を務めます。

1996年10月小選挙区制が導入されてから初めてとなる衆議院選挙では、奈良1区から新進党公認で出馬し、2回目の当選を果たします。

自民党へ入党

当選から2週間後「新進党の税制調査会で大規模な減税は不可能という結論を出したにもかかわらず、公示日に突然18兆円の大規模減税を公約に掲げたこと」を理由に新進党を離党。翌月、自由民主党に入党しました。党財政部会長代理を務めた後、1998年7月に通産(現在の経済産業省)政務次官(大臣に次ぐポスト)に就任。

2000年の衆議院選挙では、自民党内での選挙区調整の結果奈良1区ではなく、比例近畿から出馬し3回目の当選を果たします。

2002年10月第一次小泉第一次改造内閣で経済産業副大臣に就任しました。また、党遊説局長も務めます。

落選

2003年の第43回衆議院総選挙で、奈良1区から出馬します。

結果は、民主党の馬淵澄夫(2024年現在奈良1区現職)に敗れ落選しました。

その後、2004年4月近畿大学教授に就任しました。

2004年に山本拓衆議院議員と結婚(2017年政治的スタンスの違いから離婚、その後2021年再婚)します。

2005年の衆議院選挙では奈良2区で自民党から出馬予定だった滝衆議院議員が郵政民営化法案に反対し自民党を離党。そのため高市氏が奈良2区から出馬し滝を破り当選(滝は比例復活で当選)しました。そのため、近畿大学を退職します。

初入閣

2006年9月、第一次安倍晋三内閣で、内閣府特命担当大臣沖縄及び北方対策、食品安全、イノベーション、少子化・男女共同参画に就任し初入閣。

2006年8月15日(終戦の日)に大臣の中で唯一靖国神社に参拝します。これは、みんなで靖国神社に参拝する議員連盟より「大臣が終戦の日に靖国神社を参拝しないことを避ける」ために要請され急遽参拝したものでした。

2009年の第45回衆議院議員総選挙で奈良2区から立候補し、前回の衆院選で破った滝衆院議員に敗れますが、比例近畿で復活当選し5回目の当選を果たします。

2012年10月党広報本部長に任命され就任。「日本を、取り戻す。」のキャッチコピーと安倍総裁と石破幹事長が書かれたポスターを作成し、話題になります。

2012年には、党政務調査会長に女性で初めて就任しました。また党日本経済再生本部長にも就任しました。

2014年9月第二次安倍第一次改造内閣で、女性で初めて総務大臣に就任しました。

2016年8月からは内閣府特命担当大臣(マイナンバー制度)にも就任しました。

2017年6月20日には、総務大臣の在職日数が歴代1位の1022日となり、2017年8月3日の退任まで歴代最長の1066日間総務大臣を務めました。

2017年11月、新たに設けられた党サイバーセキュリティ対策本部長に就任しました。

2018年10月衆議院議院運営委員長に就任します。衆参合わせて議院運営委員長に女性が就任するのは初めてでした。

2019年9月、第四次安倍第二次改造内閣で、総務大臣、内閣府特命担当大臣(マイナンバー制度)に再び就任しました。

自由民主党総裁選挙への出馬

2021年8月10日の週刊文春で9月に行われる総裁選への意欲を示します。

9月8日に記者会見を開き「日本を守る責任と、未来拓く覚悟をもって、ここに自民党総裁選挙への立候補を表明いたします。」と述べます。

女性が総裁選に出馬したのは2008年の小池現東京都知事以来2人目となります。

結果は国会議員票では、岸田文雄氏に継ぐ2位となりますが、党員票で伸び悩み落選します。

政策

ここでは高市氏が特に重要としている政策の一部をご紹介します。

経済政策

金融緩和」「緊急時の機動的な財政出動」「大胆な成長投資」を総動員して、物価安定目標2%を目指しています。また、日本経済が成長軌道に乗るまでは、時限的に「プライマリーバランス(基礎的財政収支)規律」を凍結し、戦略的な財政出動を優先させるべきだと主張しています。

経済安全保障

大規模災害や感染症の発生など緊急時にも、「生活・医療・衛生・産業に必要な物資」を国内で生産・調達することを可能にするために、生産協力企業への設備投資支援、研究開発・生産拠点の国内回帰を促す税財政支援、基礎的原材料の確保に取り組み、先端半導体技術・医薬品・電池などの開発と製造立地の推進、次世代データセンターの最適配置、レアアースなど重要物資のサプライチェーンの強靱化に取り組むことを主張しています。

まとめ

高市氏は2024年秋に予定されている自民党総裁選挙に立候補するかが注目されています。

総裁選挙で当選すれば現在のところ総理大臣となり、積極財政を主張する高市氏が総理となることは今後の日本にどのようなよい影響を与えるのか、他にもどのような政策を推進するのか注目です。

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政経百科編集部
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