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【人権問題】北朝鮮による日本人「拉致問題」について解説

hensyubu

なぜ日本人を拉致したのか「北朝鮮による日本人拉致問題」

「北朝鮮」と聞くと、日本との関係が悪いイメージ、金正恩による独裁体制がひかれているイメージを持つ方が多いのではないでしょうか?

日本と北朝鮮の関係が冷え込んでいるのにはいくつかの理由がありますが、
その一つに「拉致問題」があります。

今回は、日本国民の安全を脅かす人権侵害問題である「拉致問題」の解説をします。

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北朝鮮による日本人拉致問題とは?

「拉致」とは、非合法に無理やり人をさらうことを指します。

厳密には定義は異なりますが、誘拐だと思っていただければイメージがしやすいでしょう。

1970年代後半〜80年代前半にかけて、日本人が失踪する事件が相次いで報告されました。

警察による捜査の結果、北朝鮮の関与が疑われましたが、明確な証拠がなく当時は大々的な報道には至りませんでした。

1987年、韓国の大韓航空機爆破事件の実行犯である北朝鮮工作員の金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏が、「蜂谷真由美」という偽名を使い、日本人になりすましていたことが判明します。

韓国警察による取り調べにて、日本人から日本語を習っていたという供述をします。

日本警察は、この証言などを元に、北朝鮮工作員に日本語を教えていたのは1970年代に失踪した田口八重子さんであると断定します。

二国間での取り組みと進展

1991年からはじまった日朝国交正常化交渉にて、日本政府は拉致問題について言及しましたが、北朝鮮は、拉致問題への関与を否定し続けたため進展がありませんでした。

拉致被害者の帰国

2002年9月の第1回日朝首脳会談で、北朝鮮の金正日氏が初めて拉致を認め、謝罪しました。

一方、日本政府が拉致被害者と認定している17人のうち、5名以外は死亡、あるいは「未入国だと主張します。

当時の小泉純一郎首相は、金正日氏に抗議、継続調査と生存者の帰国を要求します。

日本政府の調査や働きかけにより、2002年10月15日、拉致被害者5名が日本へ帰国しました。

2004年に行われた第2回日朝首脳会談の後、

帰国した拉致被害者の御家族の帰国や来日も実現しました。

北朝鮮は「拉致問題は解決済み」であると主張

5名の帰国の実現後、拉致問題は暗礁に乗り上げます。

2004年、北朝鮮は拉致被害者の1人である横田めぐみさんの遺骨を日本政府へ提供しました。

しかし、日本で行われたDNA鑑定では、提供された骨は別人のものでした。

(現在に至るまで、横田めぐみさんの安否はわかっておりません。)

北朝鮮のこの対応に対し、日本政府は強く抗議します。

また、拉致問題の進展が止まった背景には、北朝鮮の外交方針の転換も影響しています。

2006年10月、地下核実験を実施し「核保有国」となりました。

大陸間弾道ミサイルの開発も行い国際社会から孤立、日本国内でも北朝鮮への圧力をかける姿勢が強まり、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」であるという立場を取ります。

2014年5月、ストックホルムで行われた政府間協議で、日本政府が北朝鮮への制裁緩和をすることと引き換えに北朝鮮は拉致被害者の調査をすることに合意し、解決に向けての期待が高まります。

しかし、2016年に核実験とミサイル発射を再開したことに抗議した日本は独自に制裁を課し、その報復として北朝鮮は特別調査委員会を「解体」します。

その後、2024年に至るまで大きな進展はありません。

国際社会への訴え

拉致問題は、日朝間での協議に止まらず、人権問題として国際会議の場でも話し合われてきました。

国連総会や、国連人権理事会では北朝鮮拉致問題への言及を含む「北朝鮮人権状況決議」が採択されています。

また「国連調査委員(COI)」が組織され2014年の報告では、日本以外にも北朝鮮によって国民が拉致された事件が報告されました。

日本政府の働きかけによってアメリカ大統領と拉致被害者の家族の面会が実現し、日朝間だけでなく、拉致問題解決に向け国際社会への訴えも続けています。

まとめ

日本政府は、北朝鮮による拉致問題を「重大な人権侵害問題」であると位置付けています。

拉致被害者の家族が高齢化する中で、早急な解決をすべく、国内外での取り組みが続けられています。

参考になるサイト

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政経百科編集部
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