【猪瀬直樹】維新の会の参議院議員!作家・副知事・都知事の経歴や生い立ちも解説!
猪瀬直樹の現在は?日本維新の会から参院選に挑戦!
猪瀬直樹は日本維新の会に所属する参議院議員です。その他にも作家、東京都知事など多くの経歴があります。猪瀬直樹とはどのような人物なのか。あらためて生い立ちから含めて振り返ってみましょう。
プロフィール
- 生年月日:1946年11月20日
- 現職:参議院議員(比例区)
- 職歴:出版社勤務→ジャーナリスト・作家→東京都副知事→東京都知事→参議院議員
- 学歴:長野高等学校卒業、信州大学経済学部卒業、明治大学大学院政治学研究科博士前期課程修了
- 党内での役職:日本維新の会国会議員団参議院幹事長
生い立ち、作家活動
猪瀬直樹は1946年に長野県に生まれます。大学卒業までを長野県で過ごしています。学生時代は、学生運動を行っており、バリケード封鎖などを行い、信州大学全共闘議長を務めています。
大学卒業後は上京し出版社に務めます。その後、明治大学の大学院に入学し、日本政治思想史を専攻しました。学問の師匠は評論家としても活躍した橋川文三でした。
その後、作家活動へと入ります。猪瀬直樹の作風は厖大な資料やデータを参照しながら、日本の近現代史を浮き彫りにしてゆくものでした。テーマは政治、戦争、天皇など多岐に渡ります。社会派のテーマを手がけることが多い作家です。
デビュー作は『天皇の影法師』であり、このほかの代表作として天皇家と西武グループの関係を記した『ミカドの肖像』、普通の人々にインタビューを重ね普通の日本人の生活を浮き彫りにした『日本凡人伝』などが知られます。『ミカドの肖像』ではすぐれたノンフィクション作品に与えられる大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しています。のちに同賞の選考委員も務めました。
その後、民間人として政治へのコミットもはじめ、2001年には小泉純一郎内閣で行政改革担当大臣の諮問機関である行革断交評議会の委員も務めます。2002年には道路関係四公団民営化推進委員会の委員となり、これまで特殊法人の扱いであった道路公団の民営化を取りまとめます。これは小泉内閣下で行われた「聖域なき構造改革」の一環として行われました。
副知事時代
道路公団民営化などの実績が評価を受け、猪瀬直樹は2007年に当時東京都知事だった石原慎太郎の要請を受けて東京都副知事に就任します。副知事時代には東京都地下鉄、都営地下鉄の一元化の提案や、財政破綻が起こっていた東京都夕張市に東京都職員を派遣するといった事業を行いました。さらに「ニコニコ動画」などに出演し、インターネットを通じた情報発信も行いました。
都知事時代
2012年12月には石原慎太郎都知事の引退に伴い、後継指名を受ける形で東京都知事選挙に出馬します。そして433万8936票を獲得し当選します。これは都知事選でも歴代最多であるばかりでなく、日本の選挙史上においても最多の得票でした。まさに圧勝だったと言えます。
都知事就任後は、石原都知事時代から進めてきた2020年の東京オリンピック誘致などを成功させました。
しかし、徳洲会資金問題がメディアで報じられた影響もあり、就任から1年余りで辞任という結果になります。なお、徳洲会資金問題に関して、メディア上では「賄賂」といった用語などが使われましたが、実際には選挙資金収支報告書帳簿記載漏れとの判断がされています。
知事引退後、日本維新の会から政界復帰
都知事辞任後は作家活動のほか、政治に対する評論も行ってきました。
2022に行われた参議院議員選挙で日本維新の会から比例区で出馬し当選を果たし、政治の世界へ復帰しました。
ここでもX(旧Twitter)をはじめ、インターネットを用いた情報発信を積極的に行っています。さらに副知事時代を振り返り、石原都知事との交流を記した『太陽の男 石原慎太郎伝』を出版するなど作家活動も並行して行っています。
まとめ
猪瀬直樹は作家、ジャーナリストを経て、民間人として小泉内閣下で行われた高速道路公団民営化の行政改革を手がけた人物です。その後、東京都副知事、東京都知事に就任しますが就任1年あまりで政治資金の問題で辞職に追い込まれます。現在は日本維新の会所属の参議院議員として政治の現場に復帰しています。
参考になるサイト
- 猪瀬直樹オフィシャルサイト|https://www.inose.gr.jp
- 猪瀬直樹note|否定からは何も生まれない。大阪万博批判の思想こそ「失われた30年」の元凶なのだ。|https://note.com/inosenaoki/n/n1d475213bf68