【辻元清美】生い立ち・逮捕や落選など経歴・政策・発言、維新の会とのやりとりなどを解説!
『総理、総理、総理!!』立憲民主党辻元清美参議院議員とは?
小泉純一郎政権(当時)に対して、「総理、総理、総理!!」と追求する姿がテレビで流れた事もあり、全国的にも幅広い世代で知名度の高い辻元清美議員。
最近でも、維新の会とのやりとりや与党への追求、落選からの参議院転身など、様々な場面で注目を集めています。
そんな辻本議員がどのような経歴を辿り、どのような政策を主張しているのかなどをわかりやすく解説していきます。
プロフィール
- 生年月日:1960年4月28日
- 現職:参議院議員
- 学歴:名古屋大学教育学部附属高校→早稲田大学教育学部卒
- 職歴:デパート勤務→NGO職員→衆議院議員→参議院議員
- 党内での役職:立憲民主党 副代表、立憲民主党 幹事長代行、旧立憲民主党 政務調査会長、旧立憲民主党 副代表兼国会対策委員長、民進党幹事長代行、社会民主党国会対策委員長などを歴任
政治家になるまでの生い立ち
奈良県で生まれ、衆議院議員時代の選挙区でもある大阪府高槻市で幼少期を過ごしました。
高校は、名古屋大学教育学部附属高校に通い、高校卒業後2年間ほどデパートで働きました。
その後、早稲田大学教育学部に入学し、在学中に市民運動を手伝うようになります。その中で、のちに社民党党首となる土井たか子衆議院議員(当時)と出会います。
また、大学の仲間と、海外諸国と日本の交流を目的とするNGO「ピースボート」を学生時代に立ち上げます。
初当選以降の経歴
1996年に行われた衆議院議員選挙では、社会民主党の東京ブロック比例代表として立候補し、初当選します。
当選当時は、自由民主党・社会民主党・新党さきがけによる自社さ政権として、与党議員の1人として活動していました。(1998年に連立解消後は、社会民主党は野党となります。)
2000年の衆議院議員選挙では、大阪10区(高槻市・三島郡)から社会民主党公認で出馬し、当選します。以降、参議院議員(全国比例区)に転身するまで、地元高槻市を含む大阪10区を主な地盤としています。
逮捕・議員辞職と政界復帰
2002年には、勤務実態のない公設秘書の給与を国から受け取っていたとする疑惑が発覚します。
3月26日には衆議院議員を辞職、2003年7月には秘書給与詐欺容疑で関係者と共に逮捕されます。
2004年2月には、執行猶予付きの判決が言い渡されました。
2004年7月に行われた参議院議員選挙には無所属で出馬するも落選してしまいます。
2005年の衆議院の解散総選挙では、福島瑞穂議員(現・社民党代表)からの誘いもあり、社民党公認で大阪10区から立候補をしました。小選挙区では落選してしまったものの、比例近畿ブロックで当選し、政界復帰を果たしました。
民主党政権(民社国連立政権・民国連立政権)
2009年には、衆議院議員選挙で小選挙区当選し、選挙後には社民党国会対策委員長として、民主党・社民党・国民新党の3党連立政権への道筋を作ります。
民主党・社民党・国民新党の3党連立の鳩山由紀夫政権が発足した際には、国土交通副大臣にも任命されました。
2010年、沖縄県の普天間基地移設問題で日米の政府間合意に反対した福島瑞穂内閣府特命担当大臣・社民党代表が、鳩山由紀夫首相から閣僚を解任され、社民党が連立政権を離脱することになりました。
社民党の連立離脱を受けて、辻元清美議員も国土交通副大臣を辞任しました。
当時、閣内での折衝を進める方向性の辻元清美議員と、辺野古移設への考え方が合わない民主党政権から連立離脱を進める福島瑞穂代表との間に路線の違いが浮き彫りとなりました。
路線の違いから社民党離党を決めました。2010年8月に離党届が受理され、9月には衆議院内の民主党会派に入会、翌2011年9月には正式に民主党に入党しました。
民主党下野以降の経歴
2012年に行われた衆議院議員選挙では、自身は比例近畿ブロックで当選したものの、自民党・公明党に大敗し、民主党は野党となりました。
2014年の衆議院議員選挙では、大阪10区から民主党公認で立候補し、小選挙区当選しています。
2016年には、民主党と維新の党が合流し民進党が結成され、辻元清美議員も民進党に参加します。
2017年には、小池百合子東京都知事に近い議員により希望の党が設立され、前原誠司民進党代表は合流の方針を固めました。
一方で、辻元清美議員は、希望の党への合流をしなかった・できなかった議員を中心に設立された旧・立憲民主党に参加しました。
立憲民主党結党直後の衆議院議員選挙では、小選挙区で当選します。立憲民主党は、希望の党よりも議席を獲得し、野党第一党となります。
『へこたれへん』落選・参議院へ転身
2020年から始まった新型コロナウイルス対策で知名度を上げた吉村洋文大阪府知事の人気もあり、日本維新の会は支持を拡大しました。
2021年に行われた衆議院議員選挙では、辻元清美議員の選挙区でもある大阪10区に擁立した池下卓候補をはじめ、候補者を擁立した大阪府下の選挙区は全て日本維新の会の公認候補が当選という結果になりました。
辻元清美議員は、小選挙区で落選してしまい、比例復活も出来ませんでした。
2022年7月に行われた参議院議員選挙では、国政復帰を目指し、全国比例区から立憲民主党公認で立候補をしました。
結果、党内得票数1位で当選し、国政復帰を果たしました。
辻元清美と維新の会
大阪府を地盤とする辻元清美議員は、大阪を中心に勢力を広げている大阪維新の会・日本維新の会に対しての発言も数多くあります。
一方で、創設者である橋下徹元大阪府知事・大阪市長や大阪維新の会代表の吉村洋文大阪府知事から、辻元清美議員に対して言及されることも少なくありません。
辻元清美議員は、維新に対してどのような評価をしているのでしょうか?
大阪都構想
政令市から特別区となることで権限が低下する点や、消防等の住民サービスが大阪市という基礎自治体から大阪府という広域自治体に移ることで身近な施策に関して住民サービスが低下する点を挙げ、大阪都構想に反対していました。
カジノ・IRへの批判
身を切る改革による職員や行政機能の削減を進めている一方で、予算をかけてカジノ・IRの誘致を進めることに批判の声を上げています。
府知事・市長のメディア出演
吉村洋文府知事などの大阪維新の会所属の政治家が批判なくテレビに多く出演していることに対して、権力や政治をチェックする役割を持つメディアへの信頼が揺らぐと指摘しています。
著書・書籍
辻元清美議員は、様々な著書を残しています。その中でも代表的なものは以下になります。
- 『総理、総理、総理!!——“小泉現象”におそれず、ひるまず、とらわれず』
- 『いま、「政治の質」を変える』
- 『国対委員長』
- 『声をつなぐ―崖っぷちで見つけた「希望のデモクラシー」』
政策・主張
NPO法
初当選時の選挙では、NPO法の成立を掲げ、市民活動団体・ボランティア団体の法人格の必要性を訴えました。
NPO法は、1997年に国会で可決されました。
ジェンダー
男女共同参画社会基本法の制定に力をいれていました。
同性婚・選択的夫婦別姓の日本での導入を訴え、クオーター制の導入にも賛成しています。
また、LGBTQ差別禁止法案も議員立法で提出しました。
外交・安全保障
2012年の普天間基地移設問題では、国外移設を訴え、辺野古移設には反対をしています。
また、敵基地攻撃能力の保有や敵基地攻撃ができる法制度にも反対の姿勢を示しています。
憲法
憲法改正に反対、9条改正・自衛隊明記や緊急事態条項を設けることにも批判的な意見を示しています。
辻元清美を支援・応援している人は?
2022年の参議院議員選挙では、多くの著名人が辻元清美候補の応援を表明していました。
中でも代表的な人は以下のようになります。(役職は当時)
- 泉房穂 明石市長
- 演出家 テリー伊藤
- 歌手 石川さゆり
- 保坂展人 世田谷区長
まとめ
大阪府選出の衆議院議員を長く務め、落選後も全国比例の参議院議員として政界復帰も果たした辻元清美議員。
発言や主張には様々な賛否がありつつも、参院選のキャッチコピーである「へこたれへん!」姿勢を自ら体現し続けています。
今後、どのような発言をし、どのような主張をしていくのか、注目していきましょう。
参考になるサイト
- つじもと清美公式HP|https://www.kiyomi.gr.jp/
- 日刊スポーツ|【衆院選】「私は橋下さんのこと好きです」辻元清美氏の衝撃告白にどよめき|https://www.nikkansports.com/m/general/nikkan/news/202110310001349_m.html
- 日本経済新聞|「政策にスピード感」「サービス低下」大阪都構想で論戦|https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64077620Y0A910C2AC8Z00/
- 産経新聞|議員バッジない辻元清美氏「へこたれへん」 参院選比例代表に向け全国行脚|https://www.sankei.com/article/20220615-QBP3VTS5SFIHBASP46HSIZ344A/