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【国鉄民営化】JRっていつからある?理由や経緯も解説!

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国鉄民営化はなぜ?目的や時代背景、再国有化の議論を考える

かつて日本の鉄道は、運輸省の監督下で、「日本国有鉄道(国鉄)」という公共営業体によって管理されていました。しかし1987年に、国鉄は12の民間企業に分割され、「旅客鉄道(JR)」に名前を変えました。

では、なぜこのような大規模な改革が行われたのでしょうか。

今回は、そんな「国鉄民営化」について解説していきます。

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国鉄民営化はなぜ?その時代背景や目的とは?

ここでは、国鉄が民営化した目的やその背景について述べていきます。

国鉄民営化とは?

国鉄民営化は、鉄道事業を行っていた日本国有鉄道を分割して、国有企業から民間会社に移行する改革のことです。

当時の中曽根康弘内閣の下おこなわれました。

新たに発足したJRグループが事業を引き継ぎ、現在まで民間企業として鉄道事業などを行っています。

国鉄民営化の時代背景

自家用車が地方にまで浸透し、地方の国鉄の利用客が減少。さらに、かつて国鉄が戦争引揚者の雇用対策として大量の職員を採用したことにより、人件費がかさんでいました。

さらに、「我田引鉄」と呼ばれる、地方の政治家たちがこぞって票と引き換えに、自身の選挙区に鉄道を誘致しようとする行為が頻発したため、採算の取れない地方の赤字路線の建設が継続して行われてしまいます。首都圏の人口集中に伴う鉄道通勤事情も悪化し、新幹線の建設も重なって、国鉄の債務は日に日に積み上がっていきました。

国鉄の赤字が拡大した要因として、有利子の借金を重ね、それを元手に路線開発を続けたからだといわれています。

1976年から政府による補助金も投入されましたが、すでに手遅れでした。

債務以外の問題として、国営企業であるため輸送以外の業種に参入できない点や、一元的な管理体制だったため地方の鉄道事情に対応できなかったことなどがあげられます。

国鉄民営化の目的

国鉄民営化は、これらの巨額の債務を処理するために行われました。民営化を行い経営状況を改善。各社に負担を分割させ、国鉄時代の資産も売却。さらに政府からの税金の投入などで、これらの債務の処理にあたりました。

他にも、戦争引揚者の雇用対策として大量に雇用されていた職員の整理や、労働組合の解体なども目的としてあげることができます。

国鉄民営化までの経緯

ここでは、国鉄の負債が膨らむ経緯と、民営化までの道のりについてお話していきます。

膨らんでいく負債

1964年、前述したもろもろの事情が重なり、国鉄は初めて赤字に転落しました。

1969年には工事費に政府の補助金が交付され、1976年には地方の路線を維持するために「地方交通線特別交付金」などが追加されました。しかし、すでにこれらの支援は焼け石に水となっており、借金を原資にした地方路線の建設は続けられました。完全に新規の路線建設が中止されたのは、1980年のことでした。

これまでに増えた債務に対して、さらに利息が掛かり、雪だるま式に負債は増えていきました。そうした状況を受け、1982年に職員の新規採用を停止。1985年に大卒の職員のみ「民営化後の幹部候補生」という位置づけで採用していましたが、1986年にはそれも停止されました。

国鉄解体される

1986年、分割を前提としたダイヤ改正が行われ、さらに国鉄の分割民営化に関する法律も整備されました。そして1987年4月1日、正式に国鉄は115年の歴史に幕を下ろしました。国鉄は分割され、経営再建の道を歩むことになります。一方で、巨額の負債や職員の再雇用など、問題も多く残されました。

同時期に電電公社や専売公社も民営化しており、それらは現在ではNTT、JTとして知られています。

分割方法と継承法人

ここでは、国鉄がどのように分裂したか、また継承法人は何なのかについて論じていきます。

国鉄分割について

国鉄は6つの旅客会社と1つの貨物会社、そのほかの法人に分割されました。莫大な負債は国鉄清算事業団に引き継がれました。輸送のみならず、情報処理や研究にも尽力しています。

JR発足

分割後、地域ごとに旅客鉄道会社が誕生しました。それぞれ「北海道旅客鉄道(JR北海道)」「東日本旅客鉄道(JR東日本)」「東海旅客鉄道(JR東海)」「西日本旅客鉄道(JR西日本)」「四国旅客鉄道(JR四国)」「九州旅客鉄道(JR九州)」と呼ばれています。

また、「日本貨物鉄道(JR貨物)」と呼ばれる貨物鉄道会社や、「鉄道情報処理システム(JRシステム)」「鉄道総合技術研究所(JR総研)」などのシステム会社や研究機関も誕生しました。

民営化に対して当時の政党・政治家の賛否

国鉄民営化にあたっては、政権与党であった自民党を中心に、賛否が飛び交いました。以下に、自民党とそれ以外の政党の反応を紹介していきます。

自民党内の反応

1981年から1年間運輸大臣を務めた小坂徳三郎は、「国鉄の資産は時価で50兆円ある。昭和62年時点の債務は約37兆3000億円で評価の差額で累積債務は消していける。土地を全部売ればまだ残るから国鉄は破産していない」「電電公社や専売公社が民営化したからといって同じように国鉄も分割民営化という論理には賛成しかねる」と、国鉄民営化に反対しました。

自民党内には小坂の他にも、少数ながら国鉄民営化に反対する政治家が複数いました。

しかし1981年に成立した中曽根康弘内閣において、行政改革を掲げて積極的に民営化を進めていくことになります。

ですが中曽根は、自民党の重鎮であった田中角栄が民営化は容認していたものの、分割には反対していたことから、分割民営化に慎重な姿勢になります。

竹下登の造反や国鉄首脳陣の更迭などを経て、ついに国鉄経営陣は分割民営化推進派が勝利することになりました。

野党の反応

公明党、民社党は自民党の掲げる分割民営化案に賛成。社会党は民営化は容認するものの分割は認めず、共産党は分割と民営化、両方に反対しました。

再国有化に向けての議論

現在、一部で「国鉄再国有化」の議論が起こっています。これはいったい、どのようなものなのでしょうか。解説していきます。

「鉄道国有論」の主張

新型コロナを機に、各地の鉄道会社は苦境に陥りました。そのような状況下で、地方路線を保護するため、JRの再国有化を求める声が一部で上がっています。国有化した方が財政難でも政府が資金を投入してくれるため、不況時でも地方の路線が維持できるのではないか、というものです。

再国有化の問題点

しかし鉄道を国有化してしまうと、私鉄のように沿線に住宅地を開発したり、ターミナルデパートを建設したりして、外部性を取り込むことができなくなります。新たに路線を開発し疫を設置したとしても、周辺の地価は上昇し人口も増加しますが、鉄道会社自体が利益を受けることができなくなってしまうのです。

まとめ

さまざまな要因が重なり、莫大な債務を抱えてしまった国鉄。国鉄民営化は債務や人件費、労組など多様な問題を解決する手段として行われたものでした。

参考になるサイト

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政経百科編集部
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