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【前原誠司】教育無償化を実現する会代表!思想・政策、生い立ちなどを解説!

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【前原誠司】民主党政権では国土交通大臣や外務大臣を歴任!過去、民主党、民進党元代表、希望の党騒動や国民民主党離党も

昨年11月30日に、新党「教育無償化を実現する会」を結成して話題になった前原誠司氏。民主党政権において閣僚を務めていた彼ですが、若い世代の人たちにはいまいち知名度がないのが現状ではないでしょうか。今回はそんな前原誠司氏について、経歴や考え方、現在の動向について紹介していきます。

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プロフィール

  • 1962年4月30日生まれ
  • 現職:衆議院議員(京都2区)、教育無償化を実現する会代表
  • 職歴:松下政経塾→京都府議会議員→衆議院議員
  • 学歴:京都教育大学附属高校→京都大学法学部
  • 閣僚経験:内閣府特命担当大臣、外務大臣、国土交通大臣
  • 各政党における役職:第5代民主党代表、国民民主党代表代行、第2代国民民主党選挙対策委員長、第3代民進党代表、教育無償化を実現する会代表

誕生、そして松下政経塾入塾

前原誠司氏は1962年4月30日、京都市左京区で、鳥取県出身の両親のもとに生まれました。両親が山陰出身だったこともあり、よく鉄道を使っていたそうです。その影響で、自然に鉄道が好きになったとか。筆者も過去に前原氏の事務所を訪れたことがありましたが、蒸気機関車の見事な写真がたくさん飾られていたことが印象に残っています。

小学生の時に、奈良の東大寺学園を受験したものの、家計の事情でやむなく京都教育大学付属中学に進学。中学2年生の時に父親が自殺し、母子家庭となってしまいます。そのため、前原氏は高校1年から大学を卒業するまで、奨学金を受けながら勉強することになります。部活は野球部に所属していました。

一浪の末、京都大学法学部に入学。たくさんのバイトを経験しつつ、国際政治学を学びます。京大法学部のゼミの教授であった高坂正堯氏に「学者は天才でなければならない、外交官は東大が羽振りを利かせているし、おまえはおやじがいないからどうか。山田宏(現参議院議員)を紹介してやるから。」という助言を得て、松下政経塾に入塾することを決断しました。そして1987年、前原氏は第8期生として松下政経塾に入塾することになるのです。

 京都府議会へ

1991年4月、前原氏は松下政経塾を卒業しました。被選挙権を得た最初の京都府議会議員選挙に立候補し、のちの衆議院議員である北神圭朗らの支援により、府議会史上最年少の28歳で初当選を果たします。

京都府議時代は、厚生労働、環境対策、文教委員などを歴任していました。

日本新党・民主党時代

1992年、前原氏は野田佳彦、小池百合子、山田宏らとともに日本新党へ参画します。1993年に行われた第40回衆議院総選挙において、新党さきがけの推薦を受け立候補し初当選。しかし、細川護熙内閣が総辞職したことにより、日本新党を離党し院内会派を結成します。

1996年の参議院議員総選挙の直前に、旧民主党、2年後に民主党の結成に参加しました。

2002年、前原氏は菅直人・鳩山由紀夫の2枚看板の体制に危機感を覚え、世代交代を図るため「第二期民主党をつくる有志の会」を結成します。

民主党政権での閣僚の道

2009年8月30日、第45回衆議院議員総選挙が行われ、民主党は総議席の3分の2に迫る308議席を獲得。政権交代を成し遂げました。それに伴って組閣された鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣において、前原氏は国土交通大臣・外務大臣・内閣府特命担当大臣などに任命されることになります。

ここからは、それぞれのポストにおける前原氏の経歴を振り返っていきます。

国土交通大臣

前原氏は日本の交通に関する政策について、大規模な改革を行いました。羽田空港をハブ化し地域の拠点となる国際空港にし、全国37の高速道路を無償化しました。しかし、政策実行のための予算などをめぐって、内外から批判がありました。

外務大臣

2010年に尖閣諸島沖で発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件に際して、前原氏は逮捕された中国船長に対し「日本の国内法に基づき粛々と対応する。それに尽きる」と述べ、「中国側が求める中国人船長の早期釈放には応じない」と、中国に対して毅然とした態度を示しました。

尖閣諸島をめぐっては、「尖閣諸島に領土問題はない」としています。

内閣府特命担当大臣

前原氏は在任中、日本銀行が掲げるインフレ目標1%実現のため強力な金融緩和を求める姿勢を強めました。

民進党から国民民主党へ

2017年7月27日、民進党代表の蓮舫氏の辞任に伴い行われた代表選挙において、前原氏は代表に就任。同年10月3日、枝野幸男氏が新たに立件民主党を結成。同年10月22日に行われた第48回衆議院議員総選挙において、民進党は野党第一党の座を立件民主党に明け渡すこととなります。

前原氏は民進党を引責辞任。前原氏に民進党代表の肩書があったのは、たった2ヶ月間のことでした。

2017年11月2日に前原氏は民進党に離党届を提出し、同月6日に希望の党に入党届を提出します。希望の党への合流に関して、「民進党のまま戦っていたら、もっとひどいことになっていた。私は一貫して間違っていない。この道しかなかった」と述懐しています。

2018年5月7日、民進党と希望の党の合流により結党された国民民主党に参加。2020年に国民民主党と立憲民主党が合流したものの、前原氏は合流せず、新たに国民民主党を設立する流れに加わりました。

2023年8月21日に行われた国民民主党代表選において、前原氏は現代表の玉木雄一郎氏と争いました。玉木氏は自公政権との連携も排除しない考えを示した一方、前原氏は「非自民・非共産」という路線を掲げ、維新の会や立憲民主党との選挙協力を訴えました。

結果、前原氏は大差で敗れました。代表選後の離党については否定し、代表選後の役員人事で代表代行に留任しました。

教育無償化を実現する会

2023年、前原氏は国民民主党を離党。新たに教育無償化を実現する会を立ち上げ、自らが代表に就任しました。国民民主党は前原の離党届を受理せず、「党の結束を乱した」として前原氏らを除名しました。

2024年1月15日、前原氏は維新の会とともに会派を作ることで合意し、「日本維新の会・教育無償化を実現する会」が誕生しました。

政策・考え方

ここからは、前原氏の政策や考え方を、ジャンル別に見ていきます。

憲法

憲法改正には賛成。同時に、自衛隊の役割や限界についても明記すべきだとしています。

外交・安全保障

日米同盟の強化および武器輸出三原則の見直しを掲げています。また、2009年に「(北方領土に関して)「旧ソ連による不法占拠と言い続ける」旨を発言し、ロシア外務省から抗議を受けたことがあります。

経済

前原氏は経済政策においては改革派であり、公共事業改革を訴えています。また、大胆な金融緩和と民間投資を促す成長戦略については民間政党の立場から大賛成と述べるなど一定の評価をしています。

福祉

前原氏は社会保障費の国民負担を増加させて広範に社会保障を提供する「All for All」政策を、民進党代表選以降主張しています。

まとめ

たくさんの党を渡り歩き、たくさんの政策を実現させてきた前原氏。彼は今も、新たな政党のもとで「人を育てる」「国を護る」という信条のもとに活動しています。

参考になるサイト

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著者について
政経百科編集部
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