人物・政党

【枝野幸男】元官房長官・立憲民主党元代表!生い立ち、選挙区、現在は?

hensyubu
記事内にアフィリエイトを含む場合があります

立憲民主党の初代代表の経歴・学歴は?

枝野幸男氏は立憲民主党の初代代表であり、旧民主党政権下では官房長官などの要職を務めました。この記事では、枝野幸男氏のプロフィールや議員としての経歴、主な政策について解説します。

スポンサーリンク

プロフィール

  • 生年月日:1964年5月31日
  • 現職:衆議院議員
  • 職歴:弁護士→衆議院議員
  • 学歴:栃木県立宇都宮高校→東北大学法学部
  • 党の役職:民主党政策調査会長、民主党幹事長、民進党幹事長、立憲民主党代表を歴任
  • 閣僚経験:内閣官房長官、経済産業大臣、内閣府特命担当大臣(行政刷新・沖縄及び北方対策・原子力損害賠償支援機構)を歴任

生い立ち・政治家になるまで

枝野幸男は法曹界から政界に飛び込み、閣僚を経験した政治家です。ここでは、枝野氏の生い立ちや政治家になるまでの経緯を御紹介します。

栃木県宇都宮市で生まれる

枝野幸男氏は1964年5月31日、栃木県宇都宮市で生まれました。兄弟姉妹はいません。

父親は地元で町工場を経営していました。高校までは栃木県内で過ごし、卒業後、東北大学法学部に進学します。

東北大学法学部卒業後、枝野氏は弁護士として活動しています。

【経歴】政界挑戦〜

1993年、枝野氏は29歳で旧埼玉5区から衆議院選挙に日本新党公認で立候補し、初当選を果たします。

枝野氏は日本新党時代、薬害エイズ訴訟の被害者救済で評価されました。

薬害エイズとは、1980年代初め、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)の入った輸入非加熱血液凝固因子製剤が血友病などの治療目的で不特定多数の患者に投与された事件です。

薬剤の投与は製薬会社および厚生省(当時)の過失による医療ミスであるとして、両者を相手取って訴訟が行われました。

枝野氏は薬害エイズ訴訟の被害者救済に尽力。菅直人厚生大臣(当時)にはたらきかけ、1936年3月29日には原告である患者との和解を成立させています。

民主党結党〜

96年に民主党が結成され、枝野氏も新党さきがけから移籍しました。

96年から97年にかけて、新党さきがけや民進党、民政党などの一部が合流する形で民主党が結成されます。枝野氏は97年から民主党の政調会長を務めました。

96年~97年は自社さきがけに代表される非自民連立政権が下野した年です。分裂した勢力は民進党を結成するものの、政権奪取には至らず、民主党結成の流れへとつながっていきました。

なお、2016年以降は立憲民主党、国民民主党が結成され、96年結成の民主党は混同を防ぐ意味で「旧民主党」として区別されています。

民主党政権

枝野氏が所属する民主党は2009年、政権を握りました。

ここでは、民主党政権樹立から政権運営の流れを掘り下げます。

16年ぶりの政権交代を実現

2009年の衆議院選挙で、民主党は自民党・公明党から政権を奪取し与党となりました。

1993年に非自民政権が発足して以来、約16年ぶりの政権交代です。

枝野氏は民主党政権において、内閣官房長官、経済産業大臣、内閣府特命担当大臣[行政刷新/沖縄及び北方対策/原子力損害賠償支援機構)を歴任し、政権を支えました。

2012年の選挙で敗北

2009年から政権与党となった民主党ですが、2012年の選挙で負け、政権の座を自民党・公明党に明け渡しました。

2009年~2012年の3年間には鳩山由紀夫氏、菅直人氏、野田佳彦氏と首相が3人代わりました。メディアでは短命の政権と言われましたが、東日本大震災による復興など、変化の多い期間でもあります。

下野後

ここからは、民主党が野党となった後の枝野氏の活動を解説します。

民進党に合流

衆議院選挙で政権を失った後、枝野氏は2016年3月、維新の等と合流する形で民進党に在籍します。勢力を拡大したうえで与党への返り咲きを狙いますが、2017年秋の衆議院選挙を前に希望の党との合流で噛み合わず、分裂してしまいます。

立憲民主党を結成

民進党の一部は希望の党と合流しますが、枝野氏はこの流れに乗りませんでした。

枝野氏は2017年に立憲民主党を結成し、初代党首に就任します。直後の衆院選では野党第1党のポジションを確保しました。

2021年に代表を辞任

2017年に立憲民主党を結成し、初代党首として党内をまとめてきた枝野氏。

 しかし、2021年の衆院選で敗北を喫し、責任を取る形で代表を退きます。

 現在も党内に役員として在籍し、来る政権交代に向けた活動を続けています。

政策

ここからは、枝野幸男氏および立憲民主党の主な政策を見ていきましょう。

原発ゼロ基本法の推進

枝野氏は旧民主党時代から原発ゼロ政策を推進しており、立憲民主党の中心的な政策としても掲げています。 

自公政権は長らく原発推進の立場のため、対立構図にあります。

選択的夫婦別姓制度の導入

枝野氏と立憲民主党は選択的夫婦別姓制度の導入に積極的な立場です。夫婦別姓や同性婚の合法化に消極的な自公政権とはこの点でも差別化が図られています。

まとめ

枝野幸男氏は1964年生まれ、栃木県宇都宮市の政治家です。新党さきがけや旧民主党、民進党を経て、現在は立憲民主党に在籍しています。

 政治家としてはリベラル寄りの立場で、夫婦別姓制度や原発ゼロ政策の導入に積極的な立場です。

参考になるサイト

X(旧Twitter)で記事内容に対する
意見を広げてください!
スポンサーリンク
著者について
政経百科編集部
政経百科編集部
監修者
選挙・ニュース・授業がもっと楽しくなるをモットーに政経・社会課題を分かりやすく解説します。みんなの「参考書」を目指して情報発信中!様々な政治経済や社会に関する情報を提供し、読者の皆さんに理解や共感をお届けしています。
スポンサーリンク
関連記事
こちらの記事もどうぞ
記事URLをコピーしました